見て頂かなくてもWebマーケティングを学ぶ上で支障はありません。
どんな人間がサイト運営をしているか気になる方がいればお読みいただければと思います。
運営者の経歴と構成するもの
石川 蓮太朗(いしかわ れんたろう)
1995年12月22日生まれ(28歳)
2014.4~ 4年制大学卒業→看護師・保健師国家資格取得
2018.4~ 三次救急病院看護師として勤務(5年間)HCU→コロナ→精神
2023.4~ 合気道指導員/大学非常勤講師/不動産投資家として独立
26歳の時の婚約破棄(というか入籍してたからスピード離婚)
記憶エラーを起こしており、作成時すっかり抜けていました。
26歳の1年は-300%です
Webマーケティング
看護師退職後、60万円支払い学んでいる最中です。
どこで学び、なぜ発信するのか
私がどこでWebマーケティングを学んだかどうか、皆さんも知ったほうが怖くないと思うので記載しておきます。
株式会社キークエスト:青木創士さん
が運営している「実践型総合WEBマーケティングスクール」で学ばせていただきました。
なぜ学んだことを発信するかというと「ブログ」を運営すること自体がマーケティングの勉強に繋がるからです。「集客」=人を集めることですので実際に人を集める練習を私自身がこのブログを通じて勉強しているということです。
看護師
大好きだった『病院嫌いの頑固な祖父を納得させられる看護師になりたい』がキッカケ
大学入学の時点で就職先が決められる奨学金制度があり、将来4年働けば返済せず400万円を借りることができることも魅力的でした。
成田赤十字病院で看護師として5年間過ごしました。
患者様とのたくさんの経験から、今ある当たり前の幸せを日々噛みしめています。
業務上、一番の思い出は21時消灯を22時消灯に変えることができたこと。
患者様の眠剤使用率も大きく減少し、仕事も楽になって最高な結果が出ました。
スタッフに対し清拭タオルをおしりふきとして使ってしまう現状に働きかけて、優秀賞!
人生で初めて賞金という形で人に評価されたことも良い思い出です。
(就職1年目に適応障害となり、精神科受診/内服治療をしていますがそれは後で…)
3交代っていうシフト勤務体系知ってますか?
日勤:8時〜17時
準夜:17時〜1時
深夜:1時〜9時
昼働いて帰って寝て、深夜にまた出勤っている日→深…
日→深→日→日→深 ゴロがいいですね。 懐かしい…響きです…
そんな勤務の時は仕事のことしか考えれない。今では青春だったと美化しています
東京はもう3交代は少なくなってほとんど2交代制 (日勤9時~17時 夜勤17~9時)が基本らしいですね。絶対そっちの方が良いです!
合気道
父親が館長の合気道教室で2歳半から「やらされて」いました。
故に習っている大人の人達が何のために稽古するのかいまいちわからず稽古しています。
「強くなるため」ではなくもっと曖昧で大きなものなんだろうなぁと思っています。
私も稽古から人格形成において大きな影響が与えられている気がします。
今も続けている理由は「最大の親孝行」だからとしか言いようがありません笑。
合気道って何…
説明は難しいんですが…争わない武道です。
打撃で相手を壊し屈服させるのではなく相手を崩し、抑えておしまいです。
力技ではなくて相手と気を合わせて柔らかい力で腰を抜かすような技です。
「野球の直球狙いで力んでいるところにスローボールにがきて空振りして転ぶ」みたいな感覚です。
最近は試合があったり踊りみたいだったり派手でな捨て身技があったり…いろんな合気道が作られていますが…うちは昔ながらの技を古武術の理合いを生かし稽古する会です。
2023年に依頼されて本も出版してます。私は看護師だったので映っていませんが… ある程度売れないと印税とかって入ってこないんですって。だから収入0です。
不動産
リノベーションやリフォームといえば聞こえがいいですが実際しているのは「修繕」です
空き家を購入して修繕→雨漏りはしなくなったので大きい家ぼろいけど安く貸しますよ
ってスタンスやっています。
2024年には不動産投資のこともブログにするぞう
家族構成
私は父と母との3人家族、ごく一般的な家庭に生まれました。
少し変わっていることとしては自分の家の1階が「武道場」だったこと。
父は武道家で35歳の時に独立し自分の道場を建てたそうです。武道だけで私を大学卒業まで養ってくれました。
母は私が生まれてから今でも専業主婦、共働きが当たり前となった今となっては絶滅危惧種ですよね。
自分が社会に出て思ったことは2人の「武道のプロ」「家事のプロ」
に育てられていたんだな。ということです。
そんな2人のプロフェッショナルに育てられているとはつゆ知らず、一人っ子のたくさんの愛情を受け私はすくすくと育っていきました。
これまでの歩み
幼少期~小学生:人生最大のモテキから転落
●幼稚園
母が幼稚園に迎えに行った際は2人の女の子に囲まれキスをされており「優しい蓮ちゃん」として人気者だったようです。
まったく記憶にないので、あまり異性に意識がなかったんだと思います。
虫を捕まえて観察しては逃がしてを永遠と繰り返していた毎日でした。
●小学生
同じ学区で小学校に上がり3年生まで同じ仲間たちと過ごしました。
当たり前に充実した毎日でした。しかし4年生に上がるタイミングで「転校」
新しい学校、これまでの「優しい蓮ちゃん」が「気弱なレンタロウ」に変わりました
「いじめ」の対象になったのです。
きっかけは些細なことで、
帰り道に一緒に帰る友達は日常的にダンゴムシやアリを踏みつぶして遊んでいたのです。
小さな虫たちも友達だと思っていた私は
「そんなことしちゃダメだ」と身を捨てて虫たちを守りました。
その必死な姿が同級生には滑稽に見えたんだと思います。毎日帰り道は僕にとってライバルとの勝負の時間でした。
泣いた顔を拭いて家に帰り明るく母とは接し、家でプレ2をする毎日が卒業まで続きます
主犯の彼は、高校卒業後に陸上自衛隊に配属し妻子をができて
大学生の私に直接謝罪をしてくれるエピソードがあります。
中学~高校生: 温室ハウスでぬくぬく 陰キャの青春で育つ
●中学~高校生
いじめられっ子の私を両親は気づいてくれていたんだと思います。私は言われるままに私立の中高一貫校を受験し、6年間電車通学をすることになります。
今思うと「ブレザーのお坊ちゃん」 でした
人を殴ってしまったり、規則を破ってしまう学生はすぐに退学となる学校です。中学3年だけで10人近くは辞めたかな?
サッカーが大好きでそれを理由に成績は下の方、肝心のサッカーも万年ベンチでした。
怪我もあり高校の時には相談できず1人で悩んで部活を辞めてしまいました。
相変わらず同級生みんな怖く見えて、常に気を張って過ごしていました。
ただ、少しずつ授業中に本を読んでみたり、廊下で食べながら歩いたり、机に先生の落書きを描いてみたり…適度に怒られて、女子からも「きもーい」と言われ…
私立の中高一貫校という温室ハウスの中でゆっくり育っていきました。
大学生:夢見るピーターパン時代,飛び回って詐欺の時計台へ
看護学部はご存じの通り女性社会です。教室で席を立つと一面女性でした
みんな大人になるので数少ない男性陣も「いじめ」ではなく「いじり」へと変わっていきました。
男の自分が引っ張らなきゃ!と少しずつ責任感が芽生え始めます。
学内で発表や仕事があれば率先して行い、お笑いもたくさん人前でやりました。
大学デビューというよりまじめな性格だったので「自分の為になることを前向きに」やっていました。
意識は外へ外へ 東京の勉強会に参加したり海外もいろいろ行きました。アメリカ、中国、オーストラリア、フィリピン、バングラデシュ…研究発表会の座長もやったり…
下に書く司さんに出逢ってから怖いくらいに活動的でした。
まあ、のちに詐欺にあうんですが(笑)
経営セミナーに勧誘して入会させるというねずみ講
マインドコントロールにかけ一生懸命学びたいという学生の気持ちを利用した詐欺でした。
周囲に騙されているといわれても、「君と違って私は学べているから」と、私はドンドンのめりこんでいきました。
ある日、事務の人に「それは詐欺だぞ」と言われた時に「ハッ」と目が覚めたんです。たぶん関係は薄くても人間的に尊敬している部分があったから胸に響いたんだと思います。
幸い私は勧誘して他の友達を無理まで入会させていなかったので(勉強していることを知られるのも恥ずかしかった)友達も失わずに済みました。
陰キャに救われたといってもよいでしょう。
ちょびコラム:人生で衝撃を受けた人達
杉浦 司さん:S.CONNECT(エスコネクト)株式会社の社長
私の人生の羅針盤を大きく狂わせたメンターです。
この人のおかげで今の自分があったといっていいです。自分が大学生のころ、脱サラしてフィリピンで人生の夏休みの終盤を迎えていた司さんとフィリピンの短期ボランティアで一緒に過ごした2週間が出会いでした。毎晩門限のある寮を抜け出しお酒を飲んで「蓮太朗なにかやらなきゃだめだ。行動するんだ」と何時間も同じ話(笑)を繰り返し話続けた司さん、何かもどかしい毎日を過ごしていて海外に飛んだ私を見かねてクラブに連れて行ってくれたり、女の子の口説き方を披露してくれたり…自分の破天荒性格の育ての親です(私は司さんと違って普段は内に秘めています)
次会うときはいつなんだろう。けど心の中でいつも繋がっている恩人です。
家にこの人を思い出すためにセッタの空き箱を飾っています。
(結婚披露宴にあやまんJAPANをぶち込むような破天荒な人です)
ああ これ書くと司さん 声デカく笑って喜びそう。
司さんと出会った後、自分は+αで努力し続けないといけないと個の力を育てようと営業部門の仕事を探しました。確か設立して半年も経っていないファンベストでBtoCの自宅訪問営業を経験させていただき、社員は当時0人だと思います。小さなHPで藤間さんともう一人私の世話役(Aさん)とダブル社長で経営されていました、私と3人で駅に待ち合わせ、自宅を1件1件光回線の営業に回りました。
藤間さんは他の仕事をしていたので、たま-に訪問営業に回るんです。本当に簡単に契約を取ってきて魔法の様でした。クールな人柄で無表情でけど話すことは的確なんです。だけど私が初めて契約を取った時には焼き肉を奢ってくださって…こういう人が「天才」「成功者」なんだと思いました。Aさんが急に会社を辞め世話役がいなくなったことで私もお役御免となり2カ月ほどの短い付き合いではありましたが強い衝撃を受けた方です。
いつかお会いした時に焼き肉のお礼をさせていただきたいです。
会社員:挫折/パワハラ/精神科受診 濃密な5年間
1年目は人並みに悩み、朝起きて吐き気を催しながら出勤していました。
大人と大人の空気感..先輩たちが話しているのが全部自分の話に感じてしまいます。
小学~高校時代の記憶が蘇り、自分で自分の首を絞め続けていました。
1つのミスが命に関わる部署だったので本当に厳しかったですが、良い社会人1年目を過ごせたと思います。
この時に悩んで、精神科受診/内服治療を開始していました。
2年目、病院でも有名な「好き・嫌い」を態度に顕著に見せる方がいました。
私は見事「嫌い」の部類に入ってしまい、時効ですがごっつパワハラを受けます笑
当時の私もなかなか尖っていたので、私にも非はありました。
私は負けるかと踏ん張っていたのですが、周りの医師や事務さんが大事にしてくださり泣きながら上司に伝えてくれていたそうです。見て見ぬふりをしていた上司も動かざる得なくなり解決へと進んでいきます(この上司はすでに定年退職されています)
それから数年その方とは冷戦状態で会話なし、けどこのままではダメだな、と徐々に話しかけて近づいていき、退職前には1本のスニッカーズを貰いました。
その1本のチョコバーがどんな思いを込めてくれたのか知る由もないのですが、大切にとってあります。
そして1年半の抗うつ薬と眠剤との付き合いも減薬、精神科受診終了
以降中堅としてバリバリ働き、これ以上は学ぶことはあまりないし歯車になりそうだなと思い、依願退職させていただきました。
自分勝手ですが…4年の契約+1年働いたので許して…
結婚→独立の予定から、まさかの結婚破棄 ⇒ リスタート
さて、長くお付き合いさせて頂いている方がいました。
1年半同棲して退職の少し前に結婚
かじりたいくらいで(実際かじっていた) 幸せにするぞーって結婚したんですが….
「夫婦」として共に生活したのは1週間もないです。相手方が実家に帰りました。
半年間別居 で 離婚
互いに法を犯したわけではありません。
なんなら私の両親が良かれと思ってしてくれていたことでした。
喧嘩したことはなかったですし、親に尻を叩かれて帰ってくるだろうと思っていました。
両家が複雑に絡みあっており、互いにマリッジブルーだったのかと思います。
そしてその中でも、きっと自分に悪かったところはあって、
私は自分の両親をかばい、向こうも同様に自分の両親と結託していました。
まあ失敗は今後に生かすしかないんです。
人生最大の反省を抱え今後の人生を歩んでいきます。
夢とこのサイトに込める思い
私には夢があります。
『再現性がある経済的自由を得ること』
『大切な友達を夜勤の生活から引っ張り上げること』
『家族を家で看取り、子供の成長を自宅で見守ること』
このサイトを通じて夜勤の生活を抜け出してもらい、一緒に家族ぐるみで笑いあえる風景
こんな恥ずかしいことはオープンには言えません。けど内にいつも秘めています。
友人に話せるときは私が完璧な経済的自立をした時だと思います。
けど達成するまで諦めないつもりです。辞めなければ挑戦は続きます。
経済的自立する前の私とこのサイトを通じて出会えたあなたとの縁を大切に
黒歴史ブログだなあ、と中傷する気持ちで見て頂いてもかまいません。
学んだことは隠さずすべて投稿していきますので、たくさん盗んでいただければと思います
ブログで見て実行する人は本当に少ないと思いますのでだから隠しません。
将来友人たちにも見せるものですしね!
私は幸運なことに少し早く皆さんより早く副業で仕事を辞めることができました
これは私が途中でやめても時間が経っても帰ってきて「行動を続けた」からです。
いまの人生を変えたい方は、まずは小さな行動から始めてみてください。
行動の成否に関わらず、その挑戦はあなたの血肉になります。
いつか本気で取り組めるなにかを見つけたとき
成果を伸ばす「スキル」や行動を続ける「精神力」として支えになるはずです。
Webマーケを学ぶことにおいて私は「脇役」です。
見てくださっているあなたが「主役」
私が手助けはできても、自分の人生は自分でしか変えられません。
2023/05/16 石川 蓮太朗